鹿児島県
指導者 春山 洋子
私は、体操三井島システムを46年継続しています。どうしてこんなに長い間続けられたかと自分自身驚きと共に三井島智子先生を始め指導者、会員さん、家族、これまで支えて下さった全ての方々に感謝の気持ちでいっぱいです。 体操三井島システムの素晴らしさは言うまでもありませんが、三井島智子先生との出会いこそ46年継続の源だと思います。長い人生には、時として、その人生を変える程の「出会い」があると言われますが、この三井島先生との出会いこそがそれだと思います。友人の紹介で入会した私、指導者の先生に憧れ、さらに三井島先生と出会う事によって、体操の大切さを知り、心身共に健康でいたいと思って指導者になりました。そして、現在まで、指導者を続けてこれました。 三井島先生との出会いが私の人生観を大きく変えたと思います。先生がまだ鹿児島大学で教鞭を執られている頃、まだお若く元気いっぱいの頃でした。 会員であればすでに周知の事ですが、三井島先生は体操三井島システムを考案されました。「生きているかぎり、健康でよく動くからだでありたい」というその理念も、体操も、幸せな人生を追求し人間愛にあふれた先生の教えそのものだと思います。『いのち からだ からだ いのち』の本や機関誌にしっかり記されています。ちなみに記念すべき機関誌第1号は、昭和62年3月31日発行されています。わずか18ページですが、鹿児島大学の武隈先生、岡田先生の御寄稿を頂き、三井島先生も大きな喜びと感動を述べていらっしやいます。私はこの第1号は大変記憶に残っています。 その頃私達は鹿児島大学で三井島先生の講義だけでなく、多くの先生方から様々な講義や大学の公開講座を受講させて頂きました。先生は私達を指導者として繰り返し繰り返し教育して下さいました。又、私達が人前で堂々と自分自身を表現出来るようにと創作舞踊の指導もして下さいました。何回やっても覚えられない私を熱心に指導して下さり、最後にはソロ発表という貴重な機会まで頂きました。この感動は一生忘れる事は出来ません。先生が大学を退官された後も喜入、福岡と先生の御自宅に宿泊して練習した日々や仲間達と過ごした事等昨日の事のように思い出され、厳しくも温かい先生に指導者として育てて頂いた事は一生の宝です。 直接三井島先生と接した事のない指導者も多い今、私が知っている先生のお人柄と体操への情熱の一部だけでも伝えたいと思い書きました。 三井島先生の「今出来る事は今しなさい」という言葉に背中を押され、現在後期高齢者になった私も一週間に1回体操三井島システムが出来ることに感謝し、心身の健康が続く限りこの素晴らしい体操を皆さんに伝え、健康な社会へと貢献していきたいと思います。